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計画研究

領域の背景―多様性から明かされる共通原理

記憶情報の流動性

動物は環境への適応過程で各種生理機能が種ごとに多様な表現型を示すに至りましたが、我々はこの多様性を利用して共通原理を多く見出してきました。例えば哺乳類と異なり昆虫には自然免疫系しかないという特徴、自然免疫系の鍵となるToll受容体がHoffmannによりショウジョウバエから見出され、これを契機に自然免疫系という新しい研究領域が興り、哺乳類も含めた自然免疫系の共通原理が確立されました(2011年ノーベル生理学・医学賞)。またNüsslein-Volhard, Lewis, Wieschausらによる遺伝学を駆使した昆虫に特徴的な体節構造の発生機構解析は、細胞移植など胚操作が主流だった当時の発生学に発生遺伝学という革新を起こし、哺乳類も含めた分節遺伝子、ホメオティック遺伝子による形態形成の共通原理が発見されました(1995年ノーベル生理学・医学賞)。このように突出した特徴を示すモデル動物を利用して新たな共通原理を導くことが、往々にして新たな研究領域の創出、革新的な進歩を生んでいます。

学習記憶システムも動物ごとに多様な表現型を示します。例えば1)マウスは1回の恐怖条件付けで、記憶情報の獲得とほぼ同期して長期記憶を形成しますが、ショウジョウバエでは通常、繰り返し学習が短期記憶から長期記憶への変換に必要です。2)またショウジョウバエでは細胞外Mg2+濃度が約20 mMと哺乳類の数十倍もあり、そのNMDA受容体は哺乳類NMDA受容体と異なりMg2+感受性とCa2+透過性に相関がありません。3)体長が1 mm程度で神経細胞が302個しかない線虫は、活動電位を発することなく神経伝達を行い、温度走性学習では一つの嗅覚神経細胞を感覚受容と記憶形成の場としています。こうした学習記憶システムの特徴を生かして1)では効率的な短期記憶と長期記憶の分離解析が可能となり、2)ではMg2+ブロックがこれまで考えられていた連合学習ではなく、長期記憶形成に必須の機構であることが示されました。また3)では観察するべき細胞を絞って感覚情報から記憶情報へ変換されていく過程での生理学・生化学的変化をイメージングなどでリアルタイムに解析できます。こうしたモデル動物の有用性を背景に本研究領域では下記に示す「記憶ダイナミズム」の共通原理を明らかにしていきます。

新たな研究フォーカス:記憶ダイナミズムとは?

記憶情報は流動的と言えます。例えば連合学習では感覚情報が記憶の場で統合されることにより記憶情報へと変化し、不安定な短期記憶は長期記憶へと安定化されなければ消失してしまいます。心的外傷後ストレス障害(PTSD)による記憶の消去障害や、記憶情報のコーディングに組み合わされた特定神経細胞集団(セル・アセンブリ)の賦活化による恐怖記憶の想起などは、質的・空間的に不動化される記憶の静的な側面を示しています。一方で安定とされる長期記憶情報であっても分子・空間的に留まることのない側面を持つことが各種研究から示唆されています。例えば長期記憶は想起により脆弱化し、情報をアップロードした後、新たな遺伝子発現を伴い再固定化されます。また近年、学習記憶機構そのものも加齢に加えて孤立化や摂食環境など外的・内的要因により変化することも分かってきました。こうした記憶情報の流動性・記憶機構の変化を我々は「記憶ダイナミズム」と名付け、この共通原理と動物種固有のシステムの解明にフォーカスを当てた研究領域の確立を目指します。

研究目標

計画研究では、各モデル動物での特徴的な学習記憶行動の遺伝学的解析を基盤に、神経生理学、分子生物学、イメージング技術、光操作技術などを融合させ、以下の記憶ダイナミズムを解析し、その共通原理と独自性を明らかにします。

  1. 記憶情報の獲得と安定化:匂い、音といった感覚情報が“慣れ”や“連合記憶”へと変換される過程、及び脆弱な短期記憶から安定した長期記憶へと変換される過程を担う場としての神経回路を同定します。この場で何が起こるのか?変換過程での回路活性や回路内での分子・神経活性の動態を明らかにすることで情報変換の原理を探ります。
  2. 記憶情報の再固定化と消去:マウスなど脊椎動物で長期記憶情報は想起により一旦脆弱化され、情報のアップデート後、再固定化されますが、その原理は依然として不明です。また近年のショウジョウバエ、線虫の研究からは、記憶情報の消去が受動的なプロセスでなく、能動的なプロセスであることを示す結果が報告されています。安定化された長期記憶が示すこうした情報の流動性を担う分子・神経機構を明らかにします。
  3. 記憶機構の変化:記憶機構は生得的に固定されたものでなく、様々な要因により変化します。加齢・疾患・空腹・睡眠など記憶機構の変化を誘起する内的・外的要因を同定すると共に、これら要因による記憶機構の変化を分子・神経ネットワークの動態変化として捉え、各機構変化の仕組みを明らかにします。
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